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2009年7月

2009年7月23日 (木)

時間と距離

前の晩午前2時より早く床に就くことができて、朝雨が降ってなければ、たいてい7時頃起きてジョギングをしています。勿論もっと早く寝るに越したことはないので、できるだけ12時過ぎには寝るようにしてますが。

何の根拠もないのだけれど走る時はいつも45分間走ることにしているので、「どれくらい走るのですか?」と人に訊かれていつもそう答えると必ず「それって距離にしてどれぐらいなの?」という追加質問がやって来ます。今まで距離を気にしたことがなかったので、その質問に答えるべく、今朝は45分間でどれぐらいの距離を走るのか測ってみました。計測だってことでいささかオーバーペースになったきらいはありますが、ウチの近所の公園に設置された一周1200メートルのジョギングコースを、40分間で6周でした。これ、このペースでフルマラソンを走ると2時間54分です。

まぁ「このペースでフルマラソンを走ると」っていう仮定そのものがあんまり意味がないのですが、大学を卒業してからほとんど運動らしい運動をしてこなかった47歳の男の、始めて3ヶ月ほどの時点でのタイムとしてはなかなかいいのではないでしょうか?このまま熱心に練習していけば、フルマラソンで3時間を切るのも夢ではないと思います。サブ・スリーってヤツです。マラソンデビューは、やっぱボストンがいいですね。イメージ的にね。

・・・っていうのは嘘で、ホントは3時間54分ペースです。すいません。

2009年7月20日 (月)

テキーラ・ホセ・クエルボ

小栗くんの披露宴のあと(とてもいい宴だった)、2次会まで時間があったので後くんの事務所で飲んだ。後くんが秋山さんから事務所開きのお祝いにもらったのがこのテキーラだ。
Photo
これはクエルボ家が主に自分たちで楽しむためにボトリングしているもので、滅多に市場に出ないのだそうだ。ボトルに添えられた秋山さんの手紙には、「自分はこれをメキシコ・シティで手に入れました。LAの大きなリカーショップでもなかなか手に入らないそうです。」と書いてあった。なんかそのまま秋山さんのコピーみたいだった。


2009年7月15日 (水)

燃える/燃えない

パリにはゴミの分別収集という概念がほとんどなかったのです。いや、本当のことを言えば燃えるゴミと燃えないゴミの分類はあったし、粗大ゴミは申し込み制だったと思うのですが、そんなことほとんど誰も気にしてなくて、「捨てたいものを捨てたい時に捨てたい場所に捨てておけば、そのうちゴミ収集人がクルマでやって来てなんでも持ってってくれる」(とみんなが信じている)というゴミ捨て天国でした。

道端にはベッドでもタンスでもソファーでもテレビでも、大物小物を問わず様々なものが捨てられ、しかもいつの間にかなくなっていました。ゴミ収集車は曜日に関係なく基本的に毎朝来てたし。

なので、日本に帰ったら曜日ごとにゴミを分別して捨てるのがメンドくせーと思っていたのですが、微に入り細を穿つ日本人のゴミの分類ぶりを、意外にも楽しんでいます。冷蔵庫にゴミの分類表が張ってあって、「今日は何を捨てる日かなー?」って考えるのがちょっと楽しい。「あのー、壊れやすいものを保護するためのもので、ビニールの中に空気が入ったヤツありますよね?あの、ほら、指でプチプチ潰すヤツ。あれは何曜日に出せばいいんですか?」なんていう問い合わせの電話を区に何度もかけたりして。

それにしても今オレが住んでいる区では「燃えるゴミ」「燃えないゴミ」という区分がなく、「燃やすゴミ」「資源ゴミ」「金属類」みたいな分類になっています。「燃やすゴミ」?「燃やすゴミ」って、分類表によればかつての「燃えるゴミ」と「燃えないゴミ」が混在しているのですが、燃えようが燃えまいが「燃やすんだよ!」という感じ、なんだかその乱暴さが怖いです。「燃えるゴミ」「燃えないゴミ」は「属性」ですが、「燃やす」ってのは属性じゃなくて「意思」ですよね?なんか、ゴミ政策上苦肉の策で選ばれた言葉なのでしょうが、その背後に何らかの不都合が隠蔽されているような気がして・・・。

2009年7月11日 (土)

新しい言葉

オレがパリに行く前、つまり3年9ヶ月前には日本に存在していなかったのに、帰って来たら頻繁に耳にするようになっていた言葉は例えば「紐付ける」だ。もともとは「リンクする」とか「関連づける」とかを意味するIT用語、なんだろうか? 出所はよくわからないけれど、IT関連だけではなく、例えば会社の組織の構造を説明する時に「このグループはさらにこっちのグループに紐付けられています」みたいな言い方をしたりする。別に「つながってます」でも「くっついてます」でも「関連しています」でも意味は同じなのだけれど、今は「紐付いてます」と言ったほうが断然新しいらしい。ってかむしろ古風な言い回しなのにね。
それからもうひとつは「お声がけ」だ。「今度、ぜひ一緒に飲みたいです。折りをみてお声がけさせて下さい」と言ったりする。3年9ヶ月前には「折りをみて声をおかけします」という言い回ししかなかったと思うのだが、いつの間にか「お声がけ」というように名詞化していた。なんでなんだろう?

「お声がけ」はちょっと居心地が悪い。「お声がけさせて下さい」と言いたいなら「声をかけさせて下さい」でいいと思うし、もっと言えば相手が誰であれ大抵は「声をおかけします」で充分だと思う。「声をおかけします」で充分なところを、もう一段階「敬語感」を強めるために「声をかけさせて下さい」と言おうとし、さらにそれでもまだ不充分らしく「お声がけさせて下さい」と言っているのだろう、「お」がひとつ増えるからね。
こういう「必要以上に敬語であろうとする態度」の典型的な例がレストランなんかでよく使われる「ご注文は以上でよろしかったでしょうか?」という言い回しだ。「ご注文は以上でよろしかったでしょうか?」という過去形の言い回しには「ご注文は以上でよろしいでしょうか?」という言い回しに比べて「もし注文が以上でよろしくなかった場合、それはお客様のせいではなく、あくまで当方の聞き間違いです」とあらかじめ責任を自分に引きつけようとするニュアンスが感じられる。「責任を自分に引きつけようとする」と書くといい意味に聞こえるが決してそうではなく、責任の所在を吟味することを放棄しているみたいな投げやりな感じだ。つまり「ご注文が以上でよろしくない」のは客のせいかもしれないのに、あくまで「全部私が悪いんです」と主張している卑屈さにこっちが白けるのだ。
オレの想像だけど、こういう「必要以上な敬語」の発祥は電話で注文を受けたりクレームを受けたりするシステムの発達なんかと関係があるのではないだろうかと、金曜夜のドラマ「コールセンターの恋人」のついたテレビをぼんやり見ながら思った。

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