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2009年1月

2009年1月23日 (金)

コールマン・ヘンケン歯医者に行く

今ふと思ったのだけれど「森村桂パリに行く」というタイトルは、ジェームズ・スチュアート主演の映画「スミス都に行く」の影響下にあるのだろう。ないのかな。

ガムを噛んでいたらもともとちょっとグラついていた差し歯がポロリと落ちてしまったので、慌てて歯医者に行ったわけです。レミー・タニムラ先生は(たぶん)日本人とフランス人のハーフで、日本語ができます。レミー平野のせいで女性かと思っていたらミッシェル宮沢似のハンサムな男でしたが。

レントゲン写真を見た瞬間に「うー、これはヤバイ」とか言われ、2回目に行ったら即座に2本も抜かれていました。

オレが治療用の椅子に仰向けに寝てるじゃないですか、そうすると、治療器具をオレの胸の上にいくつも置いておくんですよ。日本の医者なら、治療器具は傍らのトレーとかに置いておきますよね?患者の胸の上とかに置かないですよね?もちろんエプロンはつけさせられているのですが、ピンセットやら鋭利な刃物やらほじくるものやらを、みんなオレの胸の上に置くんです。で、その器具をとっかえひっかえしながら治療するのですが、使い終わった器具をオレの胸の上に放り出してまた違う器具をピックアップするもんだから、なんか、ノリとしては人間に対する医療行為というよりは咥え煙草のおっさんがクルマを修理してる感じに近いんです。まぁ、鼻歌を歌われなかっただけラッキーだと思ったほうがいいんでしょうか?最後に先生が「よし、オッケー、完璧だな」とか言うもんだから、逆になおさら自分がポンコツなクルマに思えてきました。まぁ今後はもっといたわりながら走れということでしょう。

n=1で結論付けるのもいかがなものかとも思いますが、フランスの医者って、患者をすごく即物的に扱う気がします。よく言えば、「科学的に」扱うのですが。「病は気から」なんて全然思ってなくて、科学的な因果でしか病気をみてない感じ。まさに西洋医学。

結局2本抜かれ、歯茎の中に「バイオ・マテリアル」(と先生は言ってた気がする)を詰め込まれ、タコ糸(オレの主観ですが)でぐいぐい縫われました。口を開けると糸が見えるし、糸の端が余ってるんですが、治療としてこれは適切なのでしょうか?ちょっと不安です。

先生に指定された薬を薬局で買った(フランスの医者は薬を出さないので、処方箋を持って薬局に行くシステム)のですが、薬屋のおばさんに「これ、むこう6日間ぶんの抗生物質ね。これを飲んでいる間はお酒は飲まないこと」と言われました。でも日曜日から日本に行っていろんな人とお酒飲むことになっているので、それはできない相談だな、と。まぁ、ほどほどにね、と。

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2009年1月21日 (水)

スーパーウーマン

パリに「ニュースダイジェスト」という日本語のフリーペーパーがあって、日本食レストランや日本食スーパーで簡単に手に入ります。月に2回発行されているようですが、フランスやヨーロッパのニュースの概略が日本語で読めるので重宝しています。

Img_2762

で、その最新号に載っていた記事。

仏独身法相が女児出産~父親は明かさず

フランス公共ラジオによると、フランスのラシダ・ダチ法相(43)が1月2日、パリ市内の病院で女児を出産した。

ダチ法相は独身で、私生活上のパートナーも明らかになっておらず、地元メディアで父親が誰か憶測を呼んでいる。法相自身は昨年9月、妊娠が公になった際に「マスコミに話すことができるのは、私の私生活は込み入っているということだけ」と表明。その後も職務を続けていた。云々。

Rashida

この人がアルジェリア系フランス人のラシダ・ダチ法相です。美人です。しかし「マスコミに話すことができるのは、私の私生活は込み入っているということだけ」ってのは、かなりクールな発言ですね。

43歳という年齢で帝王切開で出産したのに、出産後5日で職場復帰したそうです。この「出産後5日で職場復帰」ということには賛否両論あって、反対意見として多いのは働く妊婦からの「そんなことされたら私たちが産休とりにくくなるじゃない!上司から『君もラシダを見習いたまえ』と嫌味を言われるに決まってる」 という声だそうです。確かに。

2009年1月15日 (木)

パリのカフェめし32

Kasure

カスレ
「白いんげん豆、ベーコンなどの肉、玉ねぎなどの野菜を土鍋で煮込んだ、南西フランス、ラングドック地方の料理(フランス料理辞典、白水社)
写真では見にくいですが浅葱の載った羊の肉の下に煮込まれた豆がぎっしりと入ってます。寒い日にはふはふ言いながら食べたい料理です。

カスレ・ド・カルカッソンヌ、カスレ・ド・キャステルノダリー、カスレ・ド・トゥールーズ、などなど、これ全部「ド・」の下は地名なのですが、土地によって微妙なヴァリエーションがあるようです。

「パリのカフェめし」シリーズ、30回を過ぎて停滞気味ですが、まぁパリのカフェのメニューはだいたいこれぐらい、な感じかなと思います。パリのカフェで、「何だこの料理、見たことも聞いたこともないぞ?」というメニューに出くわすことはほぼなくなった感じです。あとは、外国の料理、それも勿論店によって、日によって違いますがたとえば各種パスタ=マカロニとかラザーニャがあったり、タジン(モロッコ料理)があったりします。我々の昼食のヴァリエーションとしては、これらカフェでのご飯か、日本料理、中国料理、(オレはあんまり積極的に好まないけれど)レバノン料理、あたりでローテーションを組む感じです。ごくたまに、昼から松ちゃんで焼肉定食。

2009年1月14日 (水)

愛について、もしくは距離について

パリに来たばかりの頃、見たところ混血には見えない完全に白人の赤ちゃんを乗せたベビーカーを、明らかに黒人の女の人が押している姿を見るたびに「どーゆーこと!?」と一瞬びっくりして、一拍置いてから「あ、そうかベビーシッターか」と理解することが多かった。日本では、ベビーシッターに連れられた赤ちゃんってあんまり見ないので、「大人と子どもが一緒なのに、それが明らかに親子ではない組み合わせ」に見慣れていなかったせいだ。

友人のフランス人から聞いた話なのだが、パリで働く子持ちの女の人の中には「自分が外で働くためにかかるコスト、すなわちベビーシッター代とかお手伝いさんにかかる費用とか」と、「自分が外で働いて得る収入」が同じかあるいは前者のほうが多い、という人がかなりいるらしい。つまりそのお母さんが働くことが、少しも家計の足しになってないわけだ。そんなことまでして外で働くよりおとなしく専業主婦してたほうがいいんじゃないか、という封建的前近代的な暴言を吐くつもりはない。社会との接点を持って生きるということは、とても大事なことだということもわかる。でも、「そうまでして外で働くより、家にいて子どもと一緒に過ごす時間を増やしたほうがいいんじゃないか?」と考える日本人は多いのではないかと思う。男性でも女性でも。

話は変わるけれど、この間フランス人の友人夫婦から「うちに晩飯食いに来ないか、夫婦で?」というお誘いを受けたので、「こういう時ってフランス人はベビーシッターを雇って子どもを家において夫婦ふたりだけで出かけるものなのだろうけれど、我々日本人にはベビーシッターに子どもを預けて夫婦だけで外出するという習慣がないので、子供を一緒に連れて行ってもいいか?」と聞いたら「おー、そうだったね、全然いいよ、じゃあ早めの時間に始めよう、7時半に来てよ」と言われた。子どもを連れて行ってもいいと言われてよかったと思っていたら、その夕食会の直前になって、「言い忘れてたけど、ウチに来る前に子どもの食事は済ませてきてね」と言われたのだった。

そして、大人がひとつのテーブルを囲んで2時間ほどの食事をしている間中、うちの娘はそこの家の一番下の子(10歳ぐらいの男の子)の部屋で一緒にピーターパンかなんかのアニメを見ていた。向こうはフランス語しかできないしこっちは日本語しかできないので、ふたりで黙々と。何のことはない、その家でベビーシッティングまでお世話になった、という格好だ。

その夜、大人たちのテーブルに供された料理は特にフォーマルなものではなく、前菜もメインも大皿に盛られたものをめいめいが好きなだけ取り分けて食べる形だったので、日本だったらたぶん、というかウチだったらまず間違いなく、子どもたちも同じテーブルでお客さんと一緒に食べる、という形になったと思う。

日本人は、子どもが生まれると生活が完全に子ども中心になってしまうけれど、フランス人はその度合いが小さいと思う。「自分の子どもと雖も、自分の人生の邪魔はさせない」と思っているように見える。まぁそれは極論かもしれないが、でも少なくとも「子どもにとっての喫緊の課題は『いかにして早く親から自立するかである』」と思っている人は日本人よりも圧倒的に多いと思う。百獣の王ライオンは我が子を千尋の谷に突き落とす、っていうあれだ。だからフランス人の眼から見ると日本人の子育ては子どもに対して過保護で過干渉で、彼/彼女の自立を妨げ、スポイルしているように見えると思う。

もちろん日本人としても、「子どもの自立」っていうことはアタマではわかっているテーマなのだけれど、日本人のオレの眼からは、フランス人の育児が「もう少し愛情をかけてやってもいいんじゃないの?」というふうに見えるのも確かなのだ。

こういうことは微妙で、正解のない問いなのだけれども。

ちょっと前に夏木マリが「愛に生きるフランス人宣言」というものをしたけれど、フランス人が生涯に渡って「真実の愛」を捜し求めるのは、子どもの頃に「充分愛された」という記憶が足らないせいではないか、と勘繰ってしまったりするのだが。

2009年1月13日 (火)

(冬の)リヴィエラ通信④国境

本当はニースから電車で国境を越えてイタリアに侵入したかったのだけれど、フランス国鉄がストをやっててダイヤが大幅に乱れ、全く頼りにならず。しかたなくニースからバスでイタリアとの国境の町マントンまで行き、そこからタクシーで国境を越えて最初のイタリアの町ヴァンティミリアまで行ったのだった。

ヴァンティミリアの街は、歩いているとイタリア語よりもフランス語の方が多く聞こえてくるほどフランス度の高いところなのに、しかし、それでもこの町のパスタはパリのどこで食べるものよりもおいしかった。

どんなにイタリアに近くてもフランス国内にいるうちはパスタはダメダメで、ほんの数キロしか離れていないのにイタリアに入った瞬間にパスタが各段においしくなるのはどういうことなのか?

伊丹十三は

「私の大雑把な頭脳で考えるに、外国の文明を輸入するには二つの型があるように思う。すなわち、イギリス型とフランス型である。これを包容型と吸収型というふうにいい直してもよい。

 早い話がスパゲッティ一つにしてからが、イギリスとフランスではまったく違ったふうに輸入されているのです。

 イギリスでは、イタリー料理店はイタリー人がやるものときまっている。ウェイターもイタリー人である。だからロンドンで食べるスパゲッティは、ローマで食べるスパゲッティとまったく変わらない。永い間の植民地経営者としてのイギリス人の感覚がこういうところに生きてくるのだ。つまり包容型だ。ところがフランス人はそうはいかない。第一、自分の舌に絶対の自信を持っているから始末が悪い。単純素朴であるべきイタリー料理を、なにがなんでもフランス風の味付けに捩じ曲げてしまって「スパゲッティ・ア・ラ・マクシム・ソース・オー・クルヴェット・ア・リタリアン」みたいな名前をつけないと気持が落ち着かないのですね。これが吸収型。」(女たちよ!)

と書いているけれど。

侵略したりされたり、決して平坦ではない両国の歴史がフランス人をもってして「パスタなんか意地でも学習しないもんね」と決心させるのだろうか?

陸続きの国境を持たない日本人にはこの辺の機微は決して理解できないということなのか?

それとも、やっとの思いで国境を越えた我々の「イタリアだぁ!」という気持ちのせいなのか?

そうね、単に気のせいなのかも。

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2009年1月12日 (月)

(冬の)リヴィエラ通信③遺跡

去年の12月にホンダがF1からの撤退を表明した時、オレは「それでいいんじゃないか?」と思った。もっと言えば、2000年に始まったいわゆる「第3期F1参戦」の意義がよくわからなくて、ホンダのF1の歴史は1988年の「16戦15勝」をその頂点として「次行こ、次」でいいんじゃないかと思っていたのだ。単なるエンジン供給とフルワークスでの参戦は意義が全然違うのかもしれないけれど、素人からしたら、「ホンダはもうF1なんか捨ててもっと新しいことをやったほうがいいんじゃないか」と思っていたのだ。F1なんてどうせイタリアの高級車屋のためのレースでしかないんだから。

年間数百億円のお金をレースに使うなら、F1のように一般の人間にとってはただ観るだけのレースのために使うんじゃなくて、普通の人が気軽にレースに参加できる仕組みに使って欲しかったと思う。都心から近いところにミニサーキットをたくさん作るとか、安い費用で草レースに参戦できるシステムを作るとか。モタードみたいに新しい流行にもっとお金を使ってくれてもよかったし。最近ホンダのマウンテン・バイク活動がどうなってるのか寡聞にして知らないのだけれど、同じレースでもエコロジーなレースに本格参戦するっていうのもいいと思うのだが。

それはさておき、フランスではすべてのF1のレースが生中継なので、ヨーロッパ・ラウンドの決勝を観ようと思ったら日曜日の午後のいちばんおいしい時間をテレビの前に座って過ごさなければいけない。せっかくパリに住んでいるのに日曜日の午後をテレビの前で潰すのがなんだかもったいなく感じられて、こっちに来てからはF1中継をあまり観なくなってしまった。そんな些細な理由でF1から遠ざかってすいません。(日本グランプリは日曜の朝なので、がんばって早起きして観てた)

そんなわけでモンテカルロのF1コースを歩きながら、「ボー・リヴァージュの上りってこんなに急なんだ」「ミラボーってなんか単にせこい曲がり角でしかないじゃん」「こ、これがロウズ・ヘアピンか・・・(涙)」といちいち感慨にふけったのだけれど、なんかそれも古代ローマの遺跡を見ながら抱く、「ここで人間と猛獣が戦ったのかぁ」とか「よくこんな水道橋作ったよなぁ」とかいう感慨と同じ種類のものになりつつあったのだった。

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2009年1月11日 (日)

嫌われる運命

パリに転勤になってよかったことのひとつとして、7歳の娘とほぼ毎日一緒にお風呂に入れること、は数えざるを得ないであろう。日本で働いていた時は日付が変わらないうちに家に帰ることすらホントに稀だったので、ウィークデイに一緒にお風呂に入ることはおろか一緒に晩ごはんを食べるということすらほとんどなかった。
だから今のオレにとって「娘がいつまでオレと一緒にお風呂に入ってくれるか」ということが焦眉の問題であって、それに比べたら「この不景気がいつ底を打つか」なんてまったくとるに足らないことである。娘がオレとお風呂に入ってくれるなら、この不景気が永遠に続いても構わないと思う。いやまぁ、「父親と何歳になっても一緒にお風呂に入る娘」っていうのも問題なしとは言えないだろうが。
一緒にお風呂に入ってくれとは言わないが、どうして父親というものはある一定の年齢に達した娘からああまで忌み嫌われるのだろうか、とつねづね思っていたのだけれど、実はそれには遺伝学的な理由があるらしい、というのがこの間酒の席で聞いた話である。
その理論によれば、女の子は初潮を迎えると同時に父親を回避するように遺伝子的なプログラムがされているらしい。それはもちろん近親相姦を避けるためだ。初潮を迎える前までは父親に愛情を感じていたのに初潮を迎えると同時に父親を遠ざけるようになり、やがて結婚して配偶者との間に子どもが出来るとその父親を遠ざけるプログラムが自動的に解除されて、父親に対する愛情が戻って来るらしいのだ。他人との間に子どもを作ることで自分の遺伝子をきちんと保存することが出来たので、あとはどうでもいい、ということらしい。
父親のことを、一緒に洗濯物を洗うことすら嫌なほど汚い、と「思って」いるわけではなく、無意識の領域で遺伝子が働いているせいで、娘としても何だかわけがわからないまま父親を遠ざけていたわけだ。それは遺伝的に避けては通れないことなのだ、と思えれば、「父親の悲しみ」も幾分かは和らごうというものである。まぁ、酒の席で聞いた話でもあるし、かなり眉唾ではあるが。ことほど左様に、父親の悲しみは深い、ということである。

2009年1月 9日 (金)

(冬の)リヴィエラ通信②働くクルマ 

モンテカルロの店の前に止まっていた、エルメスの配達用車両。高級感のかけらもないところに好感が持てるとも言えるのだけれど、車体をエルメス・オレンジに塗って欲しかったものである。そして43分の一のミニカーにして欲しいが、それ、エルメスで販売したら値段はいくらになるんだって話ですわな。

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呪縛

子どもの頃に優等生だった人ほど(まぁオレのことだが)、その当時に刷り込まれたイデオロギーっていうのか常識っていうのか、とにかくそういうものから自由になれないのではないか、と思ったのだ。つまりその頃に「君はきちんとルールが守れるからえらい」と褒められてうれしかった記憶があるせいで、「褒められない」という事態を非常に恐れるようになる。その結果、「逸脱」することができなくなるのだ。フレキシビリティを失うわけだ。

たとえば「規則正しい生活をしよう」という考え方がある。子どもの頃から刷り込まれたこの「規則正しい生活をしなければいけない」ということが今やオレにとっては強迫観念にまでなっていて、たまに3度の食事のリズムが乱れたり、必要以上に寝てしまったり睡眠不足が続いたりすると「規則正しい生活の維持に失敗した!」ということが過度なストレスになってしまうことがあるのだ。そうなるともはやその「規則正しくない生活」そのものよりも「規則正しい生活ができなかった!」という悔悟の念のほうがよっぽど健康に悪かったりするわけである。「心穏やかならぬ規則正しい生活」と「心穏やかな不規則な生活」では、いったいどちらが健康的なのか?

しかし最近思うのだけれどこの「規則正しい生活をしよう」という考え方を普及させたのは、労働生産性を高めるための資本側の陰謀ではないのかということだ。資本側としては労働者から質の高い労働力を安定的に供給されるのが最も効率がいいわけで、そのためには労働者が労働時間中に眠くなったり腹が減ったり何度も食事をするために持ち場を離れたりして効率が落ちることは回避したいわけだ。持ち場を離れる時間を最小限にし、労働中の集中力も落ちないようにするために、つまり労働者を故障しないロボットに限りなく近づけるために、「決まった時間に食事しよう」「一定以上の睡眠を毎日安定的にとろう」ということが喧伝されたのではないのか?と思ったのである。

騙されてはいけない、ということだ。

最近はアメリカナイズされてしまったらしいが少し前のエスキモーは、1日に5回も6回も食事をしたらしい。食事を大きく3回に分けてそのつど満腹になるのではなく、「お腹がすいたら、その小腹を満たすためにちょっと食べる」ことを日に何度も繰り返したのだそうだ。なんかそのほうが、よっぽど健康的な気がする。

どうせ不況なんだから、今までの至上命題としての「労働生産性を高める」ことから少し自由になってもいいんじゃないかと思う。っていうか、仕事はどうせ減るわけだし。

まぁ、のんびり行きませんかと。

(冬の)リヴィエラ通信①墓参り

それにしても「リヴィエラ」の枕詞を「冬の」と勝手に決めたのは松本隆である。「リヴィエラ」という言葉を聞いた、ある一定以上の年齢の日本人の頭の中にはあの大滝詠一のメロディと森進一の声が条件反射的に響き渡るはずである。オレも、旅行をしていて何度も無意識に「冬のー、リヴィエラー、男ってヤツはー」と口ずさんでしまった。迷惑な話だ。
それはともかく、1965年8月27日、ル・コルビジェはリヴィエラの海で泳いでいて心臓発作を起こして死んだ。77歳だった。ちなみに5歳年下の奥さんをその8年前に亡くしていて、男やもめだった。
彼が死んだ海岸を見下ろす山の上に彼のお墓があるというので、墓参りに行って来た。なんかさー、クリエイティヴィティ向上のご利益とかありそうじゃないっすか。
ニースからイタリアとの国境に向かい、モナコを通り越してさらに行った古い村の墓地にル・コルビジェのお墓はある。
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左の四角いのがル・コルビジェ自身のお墓で、右の円柱形のが奥さんのお墓だそうだ。生前に(←当たり前だが)自分で設計したらしい。コンクリ打ちっぱなしっていうのかセメントっていうのか、ル・コルビジェの、というよりはむしろ安藤忠雄のお墓っていったほうがふさわしいんじゃないかという気もする。不謹慎だが。
というわけで、今年のオレにはル・コルビジェがついてます。無敵ですよ、きっと。


2009年1月 5日 (月)

ハッピー・バースデイ・トゥ・ミー

年下の友人から「ブログって、こまめに更新しないとどんどん億劫になるんですよ」というアドバイスをもらったからというわけでもないのだけれど、いずれにしても久々に更新します。
1月5日はオレの47回目の誕生日でした。同じ1月5日が誕生日の有名人には、夏目漱石と宮崎駿がいます。本当のことを言うと夏目漱石は旧暦の1月5日生まれなので新暦では1月5日ではないのですが、まぁそう細かいことは言わずに、オレの誕生日が日本の歴史に百年に一度登場するクリエイターたちと同じだっていうことを、素直に寿いでいただければと思います。
それにしても深刻な不景気です。この状況を打破するためにはもう一度生まれ変わらなければならないのですが、生まれ変わるためには一度死ななければいけないわけで、そのために今アメリカは死んでるのだと思います。今のうちに死んでおけば、そのうちきっと生まれ変われるはず、というのが今のアメリカの思惑だと思うのですが。
これを個人レベルで言うと、「生まれ変わるためには死ななければいけない」と言われても死んでしまえば生まれ変わることは出来ないわけで、この場合、本当に死ぬ必要はないのです。本当に死ぬ必要はなくて、死ぬことのメタファーとして、ただ眠ればいいんです。眠って、起きたらきっと生まれ変わっています。眠れる森の美女のように。
そんなわけで年頭に当たってのオレの所感は、「今年は睡眠の年」っていうことです。みなさま、おやすみなさい。がんばって起きてても、大していいことはないんじゃないでしょうか。

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