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2008年12月

2008年12月16日 (火)

ノーと言えない日本人

ガスパールくんが無事日本から帰ってきました。(会社の廊下でusagiに会ったのかな?)

「日本はどうだった?」と聞くと、「すげーよかった、何しろまず、『人』がよかった」と答えました。ちょっと前にウチの会社のニコラも東京に行ったのですが、彼も「何しろ日本はホスピタリティがいい」と感動してました。まぁパリから行けば、たいていの都市はホスピタリティがいいんじゃないかとも思いますが。

この間あるフランス人と話している時に「フランスに来て、いちばん驚いたことは何か?」と聞かれ、そう言えばフランスに来る前に想像していた、フランスでの生活のイメージを大きく超えるような「度肝を抜かれたなー」ということってないなぁと思ったのだけれど、ここに書いたことを思いついたので「そう言えば、パリを歩いているといろんな人に道を訊かれるのには驚いた」と言ったわけです。「日本人が、日本国内で道に迷った場合、そばを通りかかった紅毛碧眼の人に道を訊ねることはまずないと思う。相手が日本人であるかどうか、さらにはその人が地元っぽいかどうかなどなど、『この人なら知ってそうだ』ということを外見などで判断してから、訊ねるだろうと思う。それに比べてフランス人は、そういう事前の判断一切無しにいきなり道を訊ねてくる。それにはちょっとびっくりした」と言った。

そうしたら相手が「あなたは、そうして道を訊かれた時に、何て答えるのか?」と訊くので「そんなん、相手が行きたい場所を自分が知ってればそこへの行きかたを教えるし、知らなければ『知らない』と言うだろう(どうしてそんな当たり前のことを聞くの?)」と答えた。

「どうしてこんなことを訊くのかというと」と相手が言った。「わたしは去年の春に日本に旅行に行ったのだけれど、日本人に道を訊ねても『知らない』と答える人がいないことにちょっと驚いたからです。」

「日本人は、ガイジンに道を訊かれてそれがたとえ自分の知らない場所でも簡単に『知らない』なんて言ったりしない。その場で一生懸命考える。あるいは、そこを通りかかった別の日本人に訊いてみたりする。その結果、ウソを教えられて全然別の場所に行かされてしまうことも多かったので『知らないなら知らないと言ってよー』と思わないでもなかったのだけれど(笑)、異国からわざわざ来てくれた人間に簡単に『知らない』と言い放っては失礼ではないか?と考える日本人のスタンスは素晴らしいと思ったのです。」

フランスに住んで3年あまり、日本人の美徳を失いつつある自分を深く恥じ入ったわけです。

2008年12月11日 (木)

Vous allez où, Comme des Garçons?

フランスに「スタージュ」という仕組みがあります。「スタージュ」とは、実習とか、研修とか、見習いとかのことで、たとえば料理学校に通っている生徒が一定期間、実際のレストランで見習いとして働く仕組みのことなんかをいいます。この「スタージュ」が広告業界にもあって、たとえばアート・スクールに通っている学生が夏休みの間だけ(無給で)実際の広告代理店で働くことが、学校の単位取得のための条件になっていたりするわけです。

この「スタージュ」って、とてもいい制度だなぁと思います。学生にしてみれば、卒業する前に実社会で働いてみることができるので、その仕事が、あるいはその会社が自分に合ってるかどうか確かめることができます。会社からすれば、猫の手も借りたい時の猫の手ぐらいにはなる労働力がタダで手に入るし、もしもその人が優秀ならば、青田買いすることもできるからです。

で、ここからが本題なのですが、ウチの会社でスタージュとして働いている日本人の男の子が、突然オレに向かって「○○さん(オレの名前)って、嫌味ですよね。」と言ったので、え、そんなこと面と向かって言われなきゃいけないオレって、どんだけ嫌われ者・・・と思ったのだけれど、よく聞いてみたら彼は「○○さん、それイヤミですよね」と言ったのだった。なぜかと言うとオレはその時イヤミのセーターを着ていたからだ。

Iyami

この夏、コム・デ・ギャルソンからサリーちゃんの友人のよし子ちゃんの三つ子の弟(トン吉チン平カン太)のTシャツが発売されていてそれをオレがフォーブル・サントノーレのコム・デ・ギャルソンで購入したのは既報の通りなのだが、この秋冬はなんとおそ松くんなのだった。今年、赤塚不二夫が亡くなったからだろうか。

しかし、魔法使いサリー(しかもサリーは商品化されず、トン吉チン平カン太のみという偏ったタレント起用)から立て続けにおそ松くんに行くか、普通? コム・デ・ギャルソンのこういう気の狂った感じは、今の時代、素晴らしいと思う。もうアートの領域に完全に入ってる。川久保さんもだんだん草間弥生みたいになってしまうのだとしたら、ちょっと心配だけれど。

このVネックセーターは胸の部分の編み込みが3種類あって、おそ松くん(いや、正確に言うとおそ松くんだとは断言できないのだが。トド松かもしれないし、十四松かもしれない)とチビ太とイヤミだったのだけれど、このセーターを着て日本に帰って、「ミーはおフランス帰りザンス」と言いたいというただ一点の理由で、イヤミを買いました。

2008年12月10日 (水)

リミックスとしての翻訳

村上春樹が「翻訳には賞味期限がある」と言って「グレート・ギャツビー」とか「ティファニーで朝食を」とかを翻訳しなおしているのはご案内の通りですが、実は今日まで「翻訳には賞味期限がある」っていうことがよくわからなかったのです。

だってたとえば「グレート・ギャツビー」が書かれたのは(正確には出版されたのは)1925年であって、その日本語訳が古くなるって言ったってその前に原典そのものが古くなってるじゃん、という話であって、英語の原典は永遠不滅だけど、日本語の(あるいはそのほかの言語の)翻訳に「だけ」賞味期限がある、っていうのも変な話じゃないかと思っていたのだ。むしろ、原典が古くなってるんだからそれにつれて翻訳が古くなって行くのも当然なわけで、それのどこに不都合があるわけ?と思っていたわけです。

でも今朝、パンサラッサを聞きながらジョギングしていて、突然、腑に落ちた。

パンサラッサというのはマイルス・デイヴィスの「イン・ア・サイレント・ウェイ」や「オン・ザ・コーナー」をビル・ラズウェルがリミックスしたもので、いや、おっさん何ゆーてんねん「パンサラッサ」がリリースされたのってもう10年以上前やんか10年以上前に世界中のダンスフロアで死ぬほどかかっててさんざん踊ってたで、何を今さらこのハゲ!と10年前に若者だった人に言われてしまうだろうが、すいません今自分にマイルス・デイヴィス・ブームが来ててですね、それはたぶん今年菊地成孔が「マイルス・デューイ・デイヴィス3世研究」を出したからだと思われるのですが、そうは言うものの夏に日本に帰った時に飯山くんにお土産として買ってきて、でも自分では読んでないんです。飯山くんは読了したんだろうか、いっとき「読み終わるのもったいねー」とか言ってましたが。

話が逸れましたがたとえば1969年にマイルスが録音したものを1998年にビル・ラズウェルがリミックスした音源を聞きながら、そういうことか、と思ったわけです。

マイルス・デイヴィスのソロは全く古くならない。でも、リズム・セクションは古くなる。つまりマイルス・デイヴィスは天才だがリズム隊は凡人だ、というつもりはないんです。「イン・ア・サイレント・ウェイ」も「オン・ザ・コーナー」も、ものすごいメンツがバッキングしています。

でもたとえば機材が古くなる、ということはある。それによって音色が賞味期限を迎えてしまう、ということはありうるだろう、と。あるいは人がクールだと思うテンポ感というものは時代によって微妙に変化するだろう。

だからこそ、「イン・ア・サイレント・ウェイ」や「オン・ザ・コーナー」のオリジナル・ミックスは古典として尊重しながらも、マイルスのソロをそこから取り出して「新しい器に盛る」という方法論はありなわけで、そして、そのマイルスのソロとビル・ラズウェルのリズム・トラックとの関係が、ちょうど英語の原典と翻訳の関係に当てはまるのではないだろうか、と思い当たったわけです。

しかしそう考えるとクラシック音楽における原曲と演奏との関係には常にそういうことが言えるわけで、たとえばグレン・グールドがバッハの「ゴールドベルク変奏曲」を1955年と1981年に録音しているようなもでさぁね? グレン・グールドに言わせれば、「演奏には賞味期限がある」っていうことでしょう。

今朝パンサロッサを聴きながらジョギングしていた時にはものすごい「エウレカ!」感があったのですが、こうして冷静になって文章にしてみたら意外と普通のことのように思えてきた。でもまぁブログだからいいや。恐縮です。

2008年12月 9日 (火)

ガスパールをよろしく!

東京のみなさん。

今週の木曜日と金曜日に東京で開かれる会議に、ウチの会社からガスパールが参加します。火曜日パリ発の水曜日東京着、木・金と会議で土曜日にパリに戻ってしまうのでホントに時間がないのですが、もし東京本社の廊下あたりで見かけたら声をかけてあげて下さい。

Gaspard

彼にとって、初めての東京です。初めてのニッポンです。ヨーロッパに生まれ育った人間が初めて東京に行く時の心の震えが伝わってくるようなやや緊張した面持ちです。本来ならジャクジー・カラオケにでも行って来いよ、と言いたいところですがあまりにも短い滞在故、そんな時間はなさそうです。それと真面目な性格なので「ジャクジー・カラオケに行け」とか言うと律儀にひとりで行きかねません。天正遣欧少年使節のようなルックスのガイジンの男が(っていうかその少年たちは日本人だったんだけどね)ひとりでズボンの裾をまくって足をお湯に浸しながらカラオケしている図っていうのも悲しすぎるし。(何を選曲するのか、にはちょっと興味がありますが)

ガスパール、ボン・ヴォヤージュ!

2008年12月 8日 (月)

ふたりのランボー、ふたりの阿部さん

ある日本人と話していたらね、彼が突然「私、実はランボーが好きなんです」って言い出したのよ。それまで映画の話なんかしてないし、彼確か東大の仏文出た人でしょ?それが急にシルヴェスタ・スタローンが出てくるような粗雑なB級アクション・ムーヴィーが好きだなんて言うから意味がわからなくて、仕方がないので「ランボーの中ではどれが好きなんですか?」って探りを入れてみたの、そしたら「ランボーは、全部好きです」って答えるもんだから全然ヒントにならなくって、ますます困ったわ、とオレのフランス語の先生が言ってた。

シルヴェスタ・スタローンの出演する映画も19世紀の詩人も日本語で表記すると「ランボー」なのだけれど、前者は「Rambo」、後者は「Rimbaud」と綴るのでフランス語的には全然違う発音になってしまうのだった。しかも「r」で始まるところがさらに厄介であって、日本人の苦手な最初の子音の発音に気をとられてその次の母音まで気が回らなかったとしても、東大の仏文を出た人のことは責められまいと思う。

詩人のほうのランボーはファースト・ネームが「アルチュール」だけれど、かつて、それが「Arthur」と綴られることを知った時の驚きは意外と大きいものがあった。アルチュールって、英語で言うところのアーサーだったんだ!アーサー黒田って、フランスに来たらアルチュール黒田かよ!急に文学的じゃん!

フランスだと気取って「シャルル」とか呼びやがるけど、それがただの「チャールズ」だと知った時も驚きだったし、「シャンゼリゼ」が「Champs-Elysees」と綴られるのを知った時もなんだか意外な感じがした。「p」が入ってるなんて、「シャンゼリゼ」からは全く想像できなかったからだ。

話は変わりますが、今パリの10代の子たちはみんな「アベコンビ」の洋服に夢中です。「アベコンビ」の名前の由来は、つまるところ「阿部コンビ」であって、阿部さんというふたりの日本人が作ったブランドです、というのは完全なウソです。「Abercrombie & Fitch」をフランス語的に発音するとこんなふうに聞こえますです。

2008年12月 7日 (日)

ジャコビニ彗星は彼女に再び訪れるのだろうか?

ユーミンが渋谷陽一のラジオ番組に出演した時に(いつだよそれ、って話だけれど)、「自分は天才だ」ということを滔々と語りまくるユーミンに辟易した渋谷陽一が「だけどあなたは、未だに『ジャコビニ彗星の日』を越えてませんよね?」と言ったらしい。で、ユーミンが何も言えなくなってしまった、と。番組名も何もわからないので今やほとんど都市伝説と化してしまったエピソードなのだけれど、「ジャコビニ彗星の日」が自他ともに認めるユーミンの最高傑作のひとつである、というのは確かだと思う。

「ジャコビニ彗星の日」はこんなふうに始まる曲だ。

   夜のFMからニュースを流しながら
   部屋の灯り消して窓辺に椅子を運ぶ
   小さなオペラグラスじっと覗いたけど
   月を滑る雲と柿の木揺れてただけ

   72年 10月9日
   あなたの電話が少ないことに慣れてく
   私はひとりぼんやり待った
   遠くよこぎる流星群


ラジオからニュースを聞くならAMが普通なわけで、それをあえて「FM」からニュースを流しながら、とすることで、情景描写が格段に奥行きを増しているのだ。「夜の」っていう形容も効いてるし。秋の夜の、ちょっとひんやりした空気まで感じてしまう。
1972年に東京に存在したFM局はNHK-FMとFM東京のふたつしかないのだけれど、ここはやっぱりFM東京だろう、と想像したくなる。つまりこのラジオは普段FM東京にチューニングされていて、たまたま今夜そこから流れて来るニュースを聞いているわけだ。2年前の1970年に開局したばかりのFM東京にチューニングされているラジオ、ということから、この主人公の普段の生活が具体的に色々想像できてしまったりする。
彗星を見るのにオペラグラスではほとんど肉眼と変わらないだろう。あまりに無力である。けれどもたぶんこの歌の主人公にとってはそれ以上の手段はなかったわけで、それは、世界に対する、あるいは運命に対する主人公の圧倒的な無力感を象徴しているのではないだろうか。
そしてその無力感は、「あなたの電話が少ないことに」「慣れて」いくしかない、ということにも表現されている。電話が少ないことが悲しい、とは言わない。むかつくとも、抗議するとも言わない。そういう状況にただただ「慣れて」いく、そこにもまた、運命に対して無力な自分がいるのだ。
オペラグラスでは見えるはずがないほど遠くを過ぎて行く流星群を「ぼんやり」待つしかないように。


   それはただどうでもいいことだったのに
   空に近い場所へ出かけて行きたかった
   いつか手をひかれて川原で見た花火
   夢は束の間だと自分に言いきかせて

   シベリアからも見えなかったよと
   翌朝 弟が新聞広げつぶやく
   淋しくなればまた来るかしら
   光る尾をひく流星群


ジャコビニ彗星が地球に近づく、という報道がされて、最初は別に興味がなかった主人公が、その姿を自分の目で見たいと思うようになる。なぜなら何十年、あるいは何百年に一度訪れる彗星の姿に、自分の運命を変えてくれるかもしれない大きなチャンスの到来を重ねて見ているからだ。そして、けれどもそのチャンスが自分に来たことに気がつくのは全てが終わったあとなのかもしれない、そういう運命の残酷さにも気がついている主人公がいる。「夢は束の間」であるかどうかということにすら、人はそれが過ぎ去った後にしか気がつかないからだ。

結局ジャコビニ彗星の姿は見ることは出来なかった。人知を越えた大きな力、運命とでも呼ぶしかない大きな力に対して、人は徹底的に無力であり、我々に出来ることはただ、ひたすら待つことだけである。
そしてユーミンもまた、「ジャコビニ彗星の日」を越える曲を作る力がどこからか降りて来るのを、ひたすら待っているだと思う。
もう何十年も。

2008年12月 4日 (木)

立場について

昨夜、パリで一番おいしい(断言)韓国料理店「ウージョン」で、東京からやって来たMくんと飯を食いながら話している最中に思い出した昔のことを書いておきます。

ちなみにいつ行っても常に満席だったウージョンがガラガラなことからも、韓国の不況の深刻さが見て取れました。やばいっす。

さて、むかしむかし、80年代の終わりごろだったと記憶しますが、ある得意先に、当時売り出し中だった新人タレントを起用した広告を提案した時のことです。プレゼンのあとで、得意先の宣伝部長がこうおっしゃったのです。

「あのー、今日提案のあった○○○○(タレントの名前)ね、知ってる知ってる。この間この子が出てるCM見たよ。どこのCMか覚えてないけど、なかなかいいCMだったな、あれ」

幼少の砌から「不世出の揚げ足取り」と言われたこのオレがこういう発言を見逃すはずがありません。部長、「どこのCMか覚えてない」のに、「いいCMだった」とおっしゃるので?仮にも「宣伝部長」として一部上場企業の広告宣伝の一切に責任を持つお立場の方が、どこの広告だか伝わってない広告をポジティブに評価なさる?これは異なことを申される・・・。

まぁオレもその頃20代の終わりで、その宣伝部長とは親子ほども年齢の開きがあったので、口に出かかった皮肉を必死に飲み込んだのですが。

しかしその宣伝部長、「一視聴者としてぼんやりテレビを見ている時に広告はどのように受容されるのか」ということをもっと意識化できれば、その企業の広告ももっともっといいものになった可能性が高いのですが。その時にいわゆる「出入り禁止」を覚悟してでも、その部長にアドヴァイスしてあげたほうが、長い眼で見た時によりよいサーヴィスだ、と言えたのでしょうか?今でも時々、どっちがよかったのかなんて考えたりします。

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