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2008年10月

2008年10月30日 (木)

ロンドン出張

今日はロンドン出張だった。「ロンドン出張」と書くと聞こえはいいが、朝ヒースロー空港に着いて空港近くの得意先で一日中打ち合わせをしてそのまま夕方またヒースローから飛行機に乗ってまっすぐパリに帰るという、ロンドン市内には一歩も足を踏み入れない出張を「ロンドン出張」と呼べるのかという疑問は残るのだった。それはたとえば成田空港に着いて佐倉で打ち合わせをしてまた成田空港から帰る出張を「東京出張」と呼べるのか、という疑問と同じだなと思いかけたのだけれど、でも成田空港は「新東京国際空港」とも呼ばれるわけで、東京ディズニーランドと同じで千葉にあるのに東京という名称はいかがなものかということはさておくとしても成田の場合は「東京出張」と呼べるのではないかと思ったのだけれど、念のために調べてみたら成田空港は2004年の民営化とともにもはや「新東京国際空港」とは呼ばれなくなっているわけで、やっぱりそれもまた「東京出張」とは呼べないのではないかと思い直した。どうでもいいことを書いているという自覚は、勿論ある。
帰りの飛行機の中から、エッフェル塔の姿そのものは暗くて見えなかったけれど、塔のてっぺんで灯台のように回転する光のビームが見えた。ユーミンの「流線型'80」を聴きながら、飛行機がチャールズ・リンドバーグ的に高度を下げ始めるのを感じた瞬間、今自分がここにいて、この音楽を聴きながらこの風景を眺めているのが、一瞬物凄く不思議なことに思えたのだった。

2008年10月26日 (日)

夏終わる

10月26日日曜日の午前3時に、サマータイムが終わりました。
どういうふうにサマータイムが終わるのか、一度見届けてみたいと思っているのですが、サマータイムに切り替わる瞬間はいつも夜中の3時なので、どうしても起きていることができません。たぶん、夜中の2時59分の後に通常なら3時になるところ、ラジオなんかの時報が「もう一度2時です」ということになるのではないかと想像しています。ちょっと、確認してみたいですよね?
ということは午前2時台の時間、たとえば2008年10月26日午前2時15分、という時間は2回あるわけで、公式記録的にはその2回をどういうふうに区別するのか、知りたいものです。松本清張がもしヨーロッパに生まれていたら、この2回ある時間のトリックを使って小説を書いたのではないかと思ったりして。
サマータイムが終わった日の朝は目が覚めて「あ、もう9時だ!」と思っても正確な時間はまだ8時なので1時間得します。(もちろんその代わり3月にサマータイムが始まる時は「まだ9時か」と思ってももう10時なので損するわけですが)
オレ的には、朝明るくなる時間が早くなるのはうれしいです。今までは8時を過ぎないと明るくならなかったので、明るくなるのを待ってジョギングに出ているとどうしても出社時刻が遅くなってしまっていたからです。そのかわりもちろん、日没が早くなります。昨日までは暗くなるのがだいたい7時な感じでしたが、今日は一気に6時には暗くなってしまいました。
サマータイムが終わると、あの寒くて暗くて長い冬がもうすぐそこに来ている感じがして、なんだか気が滅入ります。今日通りかかったら、シャンゼリゼの街路樹のイルミネーションの準備が始まってました。

2008年10月21日 (火)

走る

走ると決めたら毎日走らないと気がすまないたちなので、今はよほどの雨でない限り毎朝走る。

ウチの裏手に直線で800メートル強の遊歩道があり、毎朝ここを行ったり来たりしている。昨日ちょっとタイムを測ってみたら3往復すなわち4.8キロで約30分。これをフルマラソンに換算すると4時間半ほどのペースだ。パリマラソンの打ち切りタイムが確か6時間なのでこのペースで走れば余裕で完走できることになる。この勢いで来春のパリマラソンに出場する、ことはないと思うが。

この間買った坊主のヘッドフォンをiPodにつないで音楽を聴きながら走る。これは屁理屈だけれど、同じところを行ったり来たりする時に聞く音楽としてはモード・ジャズが最もふさわしいと思う。なぜならオレの生半可な知識によればモード・ジャズは「どこにも行かない音楽」だからだ。モードなジャズを聴いていると、底なし沼にずぶずぶとはまり込んでいくような「捕らわれてしまった」という絶望的な気持ちと、でもこのままここに沈んでいくのもいいかも泥ってひんやりして気持ちいいし、といういわば羊水感のようなものに包まれる。

ジャズ好きの飯山くんに、「同じところをぐるぐるジョギングするような閉塞的な状況に、モード・ジャズはぴったりだよ」と言ったら「なるほど、走りながら何聞いてるんすか?」と聞くので「たとえば『イン・ナ・サイレント・ウェイ』とか」と言ったら、「あれはエレクトリック・マイルスじゃないすか」と反論された。

エレクトリック期のマイルスはもうモードじゃないんですかっ?

っていうか正直言うと、曲を聴いてもそれがモードなのかそうじゃないのかオレにはよくわからないんですけどね、情けないことに。

2008年10月 9日 (木)

軽蔑

そんなわけで次は「市民ケーン」だなと思いこの夏日本で買ったDVDの入った袋に手を伸ばしたらゴダールの「軽蔑」を引き当てたので、「市民ケーン」の前に「軽蔑」を観ることにしたのだった。

・・・という書き出しで記事を書いたのに、ネット接続の不調のせいで記事が消えてしまった。メルド。

同じことをもう一度書くのもつまらないので全然別のことを書きます。

売れない劇作家の主人公が、いわば「身分不相応な」美人の奥さん(なんたってブリジット・バルドーだからね)と結婚してしまったがために、自分の収入の少なさがこの結婚を破局に導くのではないかというコンプレックスに苛まれる話が縦の筋。奥さんに向って「おまえのことを愛しているから、仕事で妥協したんだ」「お前のことを思ってしたことだ」と言えば言うほど主人公のコンプレックスが露呈し、ゆえに奥さんにますます「軽蔑」されてしまうという、負のスパイラルにはまっていくわけです。こういうのって、家庭内暴力の精神構造と同じです。「おまえのことをこんなに愛しているのに」と言いながら暴力を振るう感じ。

この対立構造に「世界を席巻しようとするアメリカ文化の健康的な暴力性」と「それに抗おうとするヨーロッパの知性の脆弱さ」という二項対立が重ねあわされて話が進んでいく(っていうほど進んでいかない)のですが、なるほど、こう聞くとうんざりするほど理屈っぽいメッセージじゃないですか、だからその理屈っぽさを隠蔽するためにあのスタイリッシュな映像が生まれているのだなぁと改めて思いました。だから、ゴダールってそのスタイリッシュな映像だけを楽しむことも可能なわけです。

ファースト・カット、っていうか本編のファースト・カットは有名なバルドーの全裸(ただしうつ伏せ。最近シャネルの口紅の広告でベッティナ・ランス演出でパクってたけどあれはイマイチだった)のカットなのでその前にスタッフのクレジットが入るカットがあるのですが、普通スタッフのクレジットってスーパー・インポーズで入れるじゃないですか、それが全部ナレーションなのです。つまり「原作、アルベルト・モラヴィア。撮影、ラウル・クタール。出演、ブリジット・バルドー、ミシェル・ピコリ・・・」って感じで。これがカッコいいです。で、このナレーションを聞きながら映像は移動撮影する様子を撮影したワンカットなのです(そういう意味では「アメリカの夜」の次にこれを観たのは全くの偶然ですが「映画を作ることに関する映画」つながりだったわけだし、さらにいうと音楽はどちらもジョルジュ・ドルリュー)が、レールの上を移動してきたカメラがそのカットの最後にこちら(=観客)に向けられる、そういう「メタ映画」っぽいのを見せられるとやっぱうれしくなりますよね。「おー、やってるやってる」って感じで。

会社でオレの隣に座ってる「詩人」(詩集を自費出版したことがあるコピーライター出身のCD)が、「大好きだよー、『軽蔑』。もう何度観たかなー。昔カプリ島に行った時、映画に出てきた屋敷も見てきたよー」と言ってました。フランスでゴダールを観ると、なんていうか「ご当地」感があっていいんですよ。

2008年10月 7日 (火)

安全セット

この10月からフランスでは、運転するクルマにふたつのものを常備することが法律で義務付けられました。それは、反射テープのついたナイロンの安全ベストと、クルマが故障した時に道に置く、三角形のリフレクターです。

しかも、安全ベストはトランクに放り込んでおいてはダメで、警察官がクルマの外に出なさいと命令した時はこれを着用して車外に出なければいけない、というルールまであるのです。メンドくさい。

この安全2点セットの普及キャンペーンには、カール・ラガーフェルドが起用されました。 Karl 「この黄色いベストはださくて全くイケてないけど、あなたの命を救うことができる」とコピーには書いてあります。

そんなわけで今スーパーなんかではこのセットを大量に売っているのですが、そんなものですら他人と同じものは嫌だ、という筋金入りのフランス人のために、コレットがロゴ入りのベストを売り出しました。まぁ、単なるロゴ入りですが。

Vest

Back

でもバックにもプリントがあってこれはちょっとかわいいですね。

全然関係ないですが、カール・ラガーフェルドがシャネルで洋服を作ってる様子を描いたドキュメント「サイン・シャネル  カール・ラガーフェルドのアトリエ」は相当面白いです。何かをクリエイトする仕事の人は必見です。

アメリカの夜

フランソワ・トリュフォーの「アメリカの夜」。DVD。980円。夏休みに日本に帰った時にアマゾンで買っておいた。

この映画は「映画を撮影することに関する映画」なので、映画やコマーシャルの(フィルム)撮影の現場を知っている人には「ホント、そういうことってあるんだよねぇ」なことが満載だ。

たとえば主人公の映画監督(トリュフォー自身が演じている)が撮影所のセットを歩いていると、スタッフが次々に寄って来て「監督、クルマの色はどうしますか?」「監督、カツラの色はこれでいいですか?」「監督、拳銃はどれにしますか?」と質問攻めにする。そしてそこに「映画監督とは、質問を受ける職業である」というナレーションが入ったりする。

「そんなことオマエが決めてくれよ」と言いたいのをグッと我慢して(いるようにオレには見えるのだが)、スタッフの質問に丁寧に答えるトリュフォーなのだった。

「クルマの色は赤か白のどっちにしますか」と訊かれて「この2台のうちのどっちかから選べと言うなら白だけど、この白いクルマ、青に塗り替えられないかなぁ」と言う監督に「塗り替えは不可能じゃないけど2000フランかかる」とプロデューサーが答え、「あ、じゃあこれ、こっちのクルマがいいよ、青だし」「これ、助監督のクルマですよ」「いいじゃん、あいつなら使わせてくれるよ」と続くやり取りがいかにも撮影の現場な感じで面白かった。

って書いていたら、伊丹十三の「お葬式日記」か「マルサの女日記」のどちらかだと思うけど今手元に本がないので定かではないのだけれど、こんな記述があったのを思い出した。

スタイリストが出演者の衣装を持ってくるのだけれど、全部気に入らない。「違う」と言って、数日後にまた集めて持ってきてもらう。また全部気に入らない。また数日後に持ってきてもらう。また全部気に入らない。それの繰り返し。

本当はただ「違う」と言うだけではなくて、「こんな感じがいい」と言わなければいけないのは伊丹十三自身も自覚しているのだけれど、それは自分にもわからないのだ、ただ、持ってきてもらった衣装が「違う」ことだけははっきりとわかる。そうやって、「ノー」を言い続けるうちに、なんとか衣装の方向が見えてくる。伊丹十三はこれを「ノーと言い続けるしかないディレクションもあるのだ」と書いていた、たぶん。

まぁそれはさておき「アメリカの夜」に戻ると、あまりにもいろんなことが起こって撮影が行き詰まった夜、主人公の監督は夢を見る。それは自分が子どもの頃の夢で、映画館の前から映画のスティル写真を盗む夢というか回想なのだが、その時の映画が「市民ケーン」なのだ。

あ、そうか。じゃあ次は「市民ケーン」を観よう。

こんなこともあろうかと同じタイミングで「市民ケーン」のDVDも買ってあるのだ。500円。

オールタイムの名作映画ベスト10で常に1位だった市民ケーンが、今年イギリスの映画雑誌「エンパイア」が主催したランキングで28位に落ちているのを見てちょっと隔世の感を覚えたけれどね。ちなみに1位は「ゴッド・ファーザー(パート1)」でした。

エンパイアのホームページ上で1位のゴッド・ファーザーを紹介している短文がやたらかっこよかったです。単語をならべたたけで、見事に映画のことを語っております。まぁちょっと北方謙三みたいだけれど。

A wedding. A horse's head. A gun in a restaurant toilet. Sicily. Another wedding. A car bomb. A toll-booth. Orange peel. A baptism. A closed door.

http://www.empireonline.com/

以下、ものすごい細かい話。

「アメリカの夜」の中で、前日に撮影したシーンのラッシュをスタジオの試写スペースでスタッフみんなで観るシーンがあるのだけれど、あれに音が戻ってるのは変だと思いました。たぶんトリュフォーは、ラッシュのことを知らない観客のためにわざと音を戻したのだと思うけれど。それにここで劇中映画の主人公の若い俳優が自分の映像に合わせてセリフを言うという、この若い俳優の自意識を表現するためにも必要だったからだが。

それと、最後のほうで撮影中に「音楽スタート!」と言って撮影しながらLP盤をかけるのもちょっと変。

いや、そんな重箱の隅をつつくのはオレの本意ではないのだけれど。

2008年10月 3日 (金)

巨大な500

一般には明日開幕するパリ・モーター・ショウに、プレス・パスをいただいて昨夜行って来ました。

最高だったのはフィアットのブースにあった巨大なチンクエチェントです。

500

車高が推定7メートル。タイヤハウスから内部に入れるようになっているのですが昨夜はエクスクルーシブなパーティだったので招待状のない我々は中に入れず、でした。

500_2

実車のチンクエチェントと並ぶとトトロのその子ども(?)みたいです。

この巨大なチンクエチェントにその場で「デカチン」と命名しときました。

2008年10月 2日 (木)

オレに訊くな!

「街中歩いてるとさ、路上でよく道訊かれるんだよね、勿論フランス語で。困るんだよな、僕に訊くなよって感じ」と言う人がパリ在住の日本人の中にたまにいるのですが、このセリフを吐く時その人は大抵自慢げなわけです。

つまり①自分は日本人離れして見える。日本人に見えない。

あるいは②自分はフランス語が達者に見える。

のいずれかもしくは両方であると言いたいんだと思うんですが、それ、全然誤解ですから!

(あとで気がついたのですが「・・・ですから!」という口調はギター侍ですね。オレがパリに来る前は大人気だったのですが・・・。)

道を訊いて来るフランス人の思考回路は「道に迷った→誰かに訊かなきゃ→通りかかった人がいる→ラッキー」という最短距離で完結しており、「相手を吟味する」「この人に聞いてもわからないのではないか」というアスペクトは完全に抜け落ちていると思います。フランス人って、そういう視野狭窄な人、多いです。もし道がわからなくなった瞬間に横を犬が通りかかったら、そのフランス人は絶対犬に道を訊くと思うんです。幸いなことにパリにはまず野良犬がいないので、つまり犬が通りかかってもその犬には必ず飼い主が付随しているので、結果的に犬には訊かずにその飼い主に訊くことになっているだけだと思います。

今朝、出勤途中で変なフランス人に道を訊かれながら、絶対にそうだと思いました。

2008年10月 1日 (水)

禁煙術

煙草をやめてもう5年ぐらいになるだろうか。やめるまでは仕事で徹夜したりすると簡単に1晩で4箱も5箱も吸っていたのだけれど、ハンガリーにロケに行く時に「ハンガリーではすることがないだろうからみんなで禁煙でもしよう」ということになり、それ以来すっぱりとやめた。そんなわけで生涯で最後に吸った煙草はブダペスト行きの飛行機を待つ間にヒースロー空港で吸ったマルボロ・ライトになった。

「そんなにたくさん吸っていたのに、よく簡単にやめられましたね」と聞かれることが多いのだけれど、煙草をやめるのは実に簡単である。要するにひたすら我慢すればいいのだから。

「そんなこと言ったって、我慢できないのが人の性じゃないですか」と反論されるだろうが、ここでのポイントは、「煙草を我慢すること」をその時点での人生のプライオリティ・ナンバーワンにする、ということである。つまり「煙草を吸いたい気持ちを我慢すること」が、現時点の自分の人生ではいかなることにも優先されるのだ、と決心することである。「そんなこと言ったって、我慢できない」のは、「我慢すること」が人生のプライオリティ・ナンバーワンになっていないからだ。

たとえば、禁煙している人がつい喫煙を再開してしまう時、よく聞く言い訳がある。

「やっぱ集中して企画を考えてたりすると、つい煙草に手が伸びてしまうんだよね」とか、

「プレゼンが終わって緊張から解放されると、吸いたくなる」とか、

「食後の一服が、どうしてもうまくてさ」とか。

しかし、煙草を我慢することをその時点での人生のプライオリティ・ナンバーワンにする、ということは、つまり、煙草を吸わないといい企画が出来ないのなら、いい企画を作ることをあきらめる、ということだ。翌朝の企画会議には、「今禁煙中なのでいい企画が出来ませんでした吸いません」とか言いながら周りの人間を煙に巻くわけだ。安易なレトリックで申し訳ないが。

プレゼンが終わると吸いたくなるなら、初めからプレゼンに行かなければいい。

あるいは食後の一服がどうしても我慢できないのなら、「食後」の状態を作らないように、メシを食わなければいいのだ。

「そんなことしたらクビになる」「給料が下がる」「飢え死にする」と反論するかもしれないが、まぁ、そんなことしたってクビにはならない。ひとりの社員の生産性がほんのちょっと落ちたからってそんなに簡単にクビにはならないのが会社というもののいいところなのだ。

査定が悪くなってちょっと給料が下がる可能性はあるかもしれない。が、上司には、半年か1年生産性が落ちるかもしれないけどそれで煙草をやめたおかげでその後の10年バリバリ働いて会社に貢献するほうが、今このまま吸い続けて3年後に脳内出血で倒れるより会社にとってもいいんじゃないですか、とか何とか言い返しておけばいいのではないかと思う。

ちょっと給料は安いけど健康で長生きするあなたと、ほんのちょっと給料が下がることを惜しんだせいで早死にするあなたと、どっちが周囲の人間を幸福にするか、という問題でもあると思う。

オレは、あなたに長生きして欲しい。

餓死の可能性については、煙草を我慢できない人が死ぬまで空腹を我慢できるとは思えないので、その心配もないだろう。

とにかく、ちょっとの間無能の人間になって評価が下がろうが人付き合いが悪くて友人を失おうが「今の自分にとっては煙草を我慢することがプライオリティ・ナンバーワン」と決心してあれば、煙草は簡単にやめられる。我慢すればいいだけだから。

煙草を我慢しながらも、欲張って何かを達成しようとするから難しいのだ。それだけだ。

Tue

フランスの煙草のパッケージにはシンプルに「Fumer tue」と書いてある。「喫煙は(人を)殺す」という意味だ。

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